最後の夏は甲子園決勝で大阪桐蔭に0―17の大敗。それでも野球に対する思いは冷めず、ほぼ全員が大学野球の道に進んだ。町田も東京六大学の名門・早大に進学したが…。
「感覚的なものなのでうまくは言えませんが、大学特有の人間関係のしがらみが嫌になってしまって。上下関係がどうとか言われてますが、今でも連絡を取ってる先輩はいっぱいいますし、早稲田には本当に感謝しているんです。むしろ周りの方たちを裏切ってしまったのは自分の方。ただただ自分が子供だった」

 1年を待たず大学を中退。居場所を失った町田は、かつてのチームメートでエースだった戸狩聡希の誘いで社会人野球のヤマハに入部、13年に故障で現役を諦めるまでプレーを続けた。

「自分の野球人生は本当にチームメートに恵まれたと思う。“高校球界の菊池”なんて言われたこともあるけど、去年菊池さんの自主トレを見に行って、間近で見るプロのプレーは格が違った。もし高卒でプロに行ったらどうだったかなと考えたこともあるけど、もう未練はありません」

 ユニホームを脱いだ現在は福祉関係の会社を立ち上げ、多忙な毎日を送る。今の仕事と巡り合ったきっかけもまた、野球だったという。

「センバツで優勝した直後に、ある親子に写真を頼まれたんです。その子は障害を持っている子で、お母さんが『私たちにも、本当に励みになりました』と話してくれた。その言葉がずっと心の隅に残っていて。野球ができる間は野球を頑張って、いつかは直接こういう人たちの役に立ちたいなって」

 福祉の仕事を続けつつ、いつかは母校で野球の指導に携わるのが今の目標だ。あの夏から10年。取材に口を開いたのは初めてだという“史上最高の二塁手”は、新しい夢に向かって奮闘を続けていた。

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