渡辺氏は2015年夏まで母校・横浜高を率い、春夏を通じて5度の甲子園制覇を誇り、歴代3位タイの通算51勝を挙げている。高い指導力が評価される裏付けとして1970、80、90、2000年代すべてで全国の頂点に立っていることにある。

 栄冠をつかむまでには、多くの苦労を重ねてきた。就任当初は原貢監督が率いる強豪・東海大相模に何度も跳ね返され、以降も、桐蔭学園高、横浜商高など神奈川のライバルと切磋琢磨する中で、自身も野球を必死に勉強し、人間力と指導力を高めてきた。

 選手の気質は、時代とともに変わる。つまり、渡辺氏は柔軟な対応力で接してきた。

 若いころは「スパルタ、訓練」と鉄拳制裁も辞さない厳しい指導を続けてきたが、そこには限界があった。「人が人を動かす。愛情がないと人は動かない。言葉の野球を教えないといけない」とコミュニケーションを重視。また、試合中の円陣でも、立って指示を出すことはしなかった。「視線が同じになる」と、ベンチ前に全員、腰を下ろさせて話をした。「アイコンタクト。視線を逸らしたな、とか、選手の目を見れば分かる」。この洞察力が試合終盤の代打起用など、さい配にも生かされたという。

 こうした監督と選手との地道な付き合いが、大舞台で力を発揮する原動力となった。若いころはゲキを飛ばすだけであったが、「言葉の備えがあった」と、選手の性格に合わせた的確なアドバイスにより、ここ一番で、信じられないほどの力を引き出した。

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