2008年にセンバツ史上最速記録となる153キロをマークした男・宇治山田商(三重)の平生拓也が、急激に球速が伸びた秘密とプロに進めなかった理由を明かした。

【写真】甲子園最速は済美・安楽智大の155キロ

「まさか出るとは思ってなかった。球速表示が見えた瞬間『えっ!』と思って、続いて『うおおーっ!』という歓声が聞こえた。試合が負けてたんで、それどころじゃなかったですけど」

 08年春のセンバツ。初戦の安房(千葉)戦、3回表に平生が4番打者へ投じた2球目は、その後10年近くたった今もなお破られることのない「センバツ史上最速記録」として残っている。当時の平生の自己最速は148キロ。大舞台でいきなりの5キロアップには、心ない言葉もあったという。

「新聞で『甲子園のスピードガンが間違っていた』と書かれたこともありました。その試合ではもう1球、150キロを出したんですが、153キロは後にも先にもあの一度だけ。早く抜いてほしいと思う半面、抜かれたくない思いもありますね」

 実は平生にはもう1球“幻の150キロ超え”がある。1年秋の秋季大会地区予選、伊勢市営球場では151キロを計測したが、このときも「スピードガンの誤差」として記録としては認められなかった。仮に記録として残っていれば「高校1年で150キロ超え」という前代未聞の大記録となっていたはずだ。

「監督が『ガンが壊れてるに決まってる』って言って取り合ってくれなかった。監督とはとことんウマが合わなくて、反抗ばっかりしてました。もともとバッティングの方が注目されてたんですが『お前のワンマンチームじゃない』と言われて『じゃあもうバッティング練習はしませんから』と一切やらなかった。高校通算本塁打も20本打ったけど、15本は1年生のとき。練習中はグラウンド脇の芝生で寝てました(笑い)」

 監督とはソリが合わなかったと語るが、それまで140キロ台後半だった球速が劇的に伸びたのは、独学で学んだ練習のたまものだという。

「トレーナーさんから体の使い方を教わったり、陸上の投てきで全国大会に出ていた女の先輩に筋トレの仕方を聞きに行ったり。遊びでやってた幅跳びも野球に生かせるんちゃうかと思って、練習後に一人でやってた。ウエートを鍛えて一冬越えたら、一気に球が走るようになった」

 センバツでは一躍注目を浴びたが、その後は故障に苦しんだ。地元に帰ってすぐ腰痛を発症。最後の夏まで思うように投げられない日々が続く。夏の大会中には肉離れを起こし、県大会決勝で力尽きた。

「最後の夏に甲子園に行っていれば、プロにも行けたんじゃないかな。でも、スカウトはケガを一番よく見てますから。高校でも社会人でも、最後はケガに負けました」

 高校卒業後4年間在籍した社会人チームも、右ヒジの故障を機に退部。現在は地元三重で消防士の仕事に携わる。

「高校のとき、家に帰ったらおかんが倒れてて、救急車を呼んだときに来てくれた隊員の人がカッコよかった。こういう仕事もあるんやなと。社会人なんで上の人にたてつくことはもうないけど、納得がいかないと嫌なのは変わらない。『こうやったほうがよくないですか』『こういうやり方はどうですか』といつも疑問をぶつけてます。急脱出とかは何パターンも選択肢があって、そういう引き出しを多く持った消防士になりたい。それが今の目標ですかね」

 センバツ史上最速を記録した春から間もなく10年。ユニホームを防護服に着替えても、平生の試行錯誤はまだまだ続く。

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